こんこん

斉藤康次(こんす)です。良い感じの水彩の人物画を描くためのブログ。

みんなのミュシャ展に行ったので、アール・ヌーヴォーについて

みんなのミュシャ展に行ってきた。

f:id:konkons:20190916213106j:plain

まあもうじき終わる展覧会なので、今さら見どころなど紹介や感想を書いても仕方ないと思う。
ざっくりと言うと、まだ混んでたし、良かった。
日曜の10時頃に行ったけれど、チケットも入場も少し並ぶ程度には混んでいた。
中でも並んで順番に観ないと最前列では観れない。
途中写真撮影OKなところもあり、上の写真はそれなのだけど、写真は殆ど人が移りこむので(最前列で撮るのは禁止)、絵を撮りたいという方は少し難しい。まあちゃんとしたカメラを持っていってタイミングを計るといいとは思うけれど。

内容については、今まで本なんかで観たことのあるイラストが沢山並んでいた。印象に残っているものは全てと言っても良いくらい。
ミュシャの名が知れ渡った「ジスモンダ」から、沢山のイラストがあり、その一部は写真にも撮れる。
習作、スケッチなどもあって、個人的にはそれらがとても良かった。とにかく綺麗な線に上手い上手いと連呼してた。回りの人はお前が言わなくともわかってるわと思ってただろうけれど、もう口から漏れてた。

なのでそのスケッチ類を是非模写したいと思って図録をみたのだけど、写真がとても小さい。
これはかなり残念で、1ページに一枚絵が載っているようなことはまずない。
キャプションとかも一切なく、ほぼほぼ絵が羅列されているだけになっている。
ただ冒頭のページの解説にアール・ヌーヴォーについて書かれていて、それが勉強になったので今回忘れずにアール・ヌーヴォーミュシャについて、覚え書きしておこうかなと思ったのが本記事の主題。
そしてアール・ヌーヴォーだけで力尽きたのでミュシャについてはまたいつか。


そういうわけで大分長くなったがアール・ヌーヴォーについて。
アール・ヌーヴォーは1890年頃から第1次世界大戦の始まる1914年までを指す。


アール・ヌーヴォーの系譜

大体Wikipediaの引用になってしまうが、アール・ヌーヴォーはイギリスで起きたアーツアンドクラフツ運動の影響を受けている。
アーツアンドクラフツ運動とは産業革命で粗悪な工業製品が大量に出回り、それを批判したウィリアム・モリスが手作業による質の高い製品を普及させようとしたもの。

この運動がフランスの文化とミックスされ、建築や絵画に優美な装飾がつけられ、曲線を多用したフォルムが主流になる。この流れがアール・ヌーヴォー(新芸術)と呼ばれ、1890年代から第1次世界大戦が始まるまで、フランスはベル・エポック(良き時代)と呼ばれる。

第1次世界大戦が始まると、自動車や飛行機などの工業製品が登場し、機械的なフォルムに合わせるように装飾が排除されていき、アール・デコ様式に移る。


アール・ヌーヴォーの始まり

はじめてアール・ヌーヴォーという言葉が使われたのは、アンリ・ヴァン・デ・ヴェルデの芸術作品。
1894年のベルギーの雑誌で使われ、その言葉がフランスに伝わり、1895年、サミュエル・ビング(ジークフリート・ビング)が「アール・ヌーヴォーの家」という画廊をオープンさせたのが、アール・ヌーヴォーを普及させた大きなきっかけになる。

ビングは日本の美術・工芸品を扱う画廊も成功させており、過去の様式の模倣からの解放を目指していたらしい。
そのため「アール・ヌーヴォーの家」に特定の様式などは存在せず、国籍も方向性も分かれていた。

アール・ヌーヴォーの家」は批判もある一方で、ミュシャ風という見方もあった。
ミュシャは「アール・ヌーヴォーの家」がオープンしたちょうど一年前、「ジスモンダ」のポスターのオーダーを受けている。
そのポスターが評価され、爆発的にミュシャの名前が広まった。ミュシャ自信に特定の様式からの影響がなかったことから、「ミュシャ様式」と呼ばれ異彩を放っていたところに、アール・ヌーヴォーという言葉が広まり、そこにミュシャを当てはめた、という流れでいいのではないかと思う。


リバイバル

第1次世界大戦が始まり、アール・デコ様式に移り、その後第2次世界大戦が起こり、情勢の変化からアール・ヌーヴォーは忘れ去られた。
それが1963年、ロンドンのヴィクトリア&アルバート博物館で開催された「アール・ヌーヴォーアルフォンス・ミュシャ展」を皮切りに、各地でミュシャ展が開催され、ミュシャの人気が再燃する。
勝手な勘違いかもしれないけれど、自分にはアール・ヌーヴォー=ミュシャのようなイメージがあり、それはこの辺りの回顧展から作られてるものなのかな、という気はする。
アール・ヌーヴォー、と言えばミュシャのイラストが思い浮かぶけれど、実際には絵画や建築など多彩に広がっていたわけで、そのなかでミュシャが一際輝いていたとはいえ、当時は様々なアール・ヌーヴォーがあったのだろうな、と思う。


まとめ

アール・ヌーヴォーと同時にミュシャについても書きたかったけれど、ものすごく疲れたので多分ミュシャについてはやらない。
Wikipediaと画集の話を混ぜて浅いところを掬っただけの文章なので、何か間違いがあれば指摘してもらえると助かります。